2016年4月22日金曜日

2016/4/22(金)市役所関連

戸籍の変更など市役所関係の手続きは、東大阪の市役所に勤めていたことがある弟の奥さんにおまかせ。母に付き添って市役所までクルマを出してくれ、あれこれの書類を持って行き手続きしてもらう。たぶん1回では片付かないであろうから、平日に動ける義妹に頼めるのはありがたい。市役所もクルマで行けば楽だが、バスだと家からJR駅の停留所まで歩いてになるし。


2016年4月21日木曜日

2016/4/21(木)口座引落の変更手続き

ベルコの費用精算のために、弟と二人で実家に出向く。

精算はざっくり140万円ぐらい。住職へのお布施計30万円は別に払ってるのと、父が積み立てで払い込んでいたのが30万円ぐらいあったので、初七日までの費用は、合計して200万円というところか。この他に直近で発生する費用は、満中陰のお布施とお供えの購入代金に、満中陰後の食事会の費用。

父の口座から引き落とされている諸々の費用について、母名義口座の口座からの引き落としに変更したり解約にすべく、父の銀行の通帳を見ながら、領収書を探して、弟と分担して各所に電話する。
  • 電話
  • NHK受信料
  • 電気
  • ガス
  • 水道
  • クレジットカード
  • インターネットプロバイダ
  • 携帯電話
基本的には、各業者が変更手続きのための書類を送ってくるので、それに母の口座を記入して返信することで手続きが完了するが、どこも1~2ヶ月かかるという。現在引き落としに使っている父の口座は、死亡届を出したら凍結されるので、切替が済むまでの間は請求書を母宛に送ってもらって、都度振り込まねばならない。


2016年4月20日水曜日

2016/4/20(水)休養

通夜・告別式ですっかり疲れたので、今日は完全休養にする。

ベルコが費用の精算で実家に来るのも明日にしてもらって、母にも一日ゆっくりしてもらう。


2016年4月19日火曜日

2016/4/19(火)告別式、斎場、初七日

告別式の日。

本日は長丁場。

告別式~斎場~ベルコに戻って食事~骨揚げに再度斎場へ~遺骨を持って実家へ。

告別式の前に、司会の女性から再度インタビューを受ける。母と弟と3人で応対していると、話すうちにいろいろと思い出してくるものである。

告別式は、ほぼ通夜と同じパターンだったが、一般の焼香のあとに喪主挨拶という御役目がある。父の入院、最後の様子、父と看護してた母への感謝の言葉など盛り込んで話す。

留焼香は予定通り、叔父に頼む。

通夜より告別式のほうが長丁場になる分、問題もいくつかあり。

あまり足が丈夫でない叔父を迎えに弟が駅まで行ったら、実家に寄っていたとかで探すのに苦労したり、住職にご挨拶してお布施を渡すときに、母が妹夫婦を迎えに駅に行ってて不在だったり、年寄りたちは自由なものだ。とにかく、母と喪主である私は式場から動いてはならぬことがよく分かった。その分動きまわる人が居ないと回らないので、うちの場合は弟に動いてもらえてよかった。

町内会関連でちょっとトラブル。通夜に来られた方が町内会からのお花がなかったと言っていたそうな。香典などは親戚限定にしているので、お花無しで良かったんだが、町内の○○さんの時はお花を出していたのになかった、とかなんとか。ベルコの安田さんがその話を受けたそうで、当家には負担なしでお花を準備してくれた。この人、ほんとによく気が回る。

告別式の時には、燃やせる物なら故人が好きだったものを棺桶に入れても良いので、甘いものを入れた。祭壇を飾っていたお花も切り取って入れ、加えてベルコが準備している白いバラの花を歳の数だけ85本入れる。棺の中はお花でいっぱいである。女性の場合は赤いバラになるらしい。

出棺の時、母と私以外は先にロビーに行き、我々二人はお棺と一緒に出る。霊柩車には母が遺影と一緒に乗って、喪主の私は位牌を保ってマイクロバスに乗る。運転席後ろに喪主様座席。

奈良市の斎場は、父が1年間入院していた春日病院からほど近い。

火葬の後はいったんベルコに戻って精進落としの食事。ここでも、お食事開始の掛け声をかけるのは喪主の御役目。時間は2時間あるのでゆっくり食べられる。

食事の後は再び斎場までマイクロバスで移動して、骨揚げ。二人一組で骨を拾うのがよくあるパターンだが、ここでは長さの違う箸を使って一人ずつが拾う。理由は二人でやると、拾いづらいし、そのために熱い台に触れてやけどをしたりするのを避けるため。上着のボタンは必ず留めて裾が台に触れないように等と、ベルコ安田さんの指示は、ここでも細かい。

骨揚げのあとは、骨壷、位牌を持ってベルコに戻り、初七日の法要を行って、本日のイベントはこれで終わり。お供えにいただいた果物の盛り合わせを皆んなで分けあって、解散する。


2016年4月18日月曜日

2016/4/18(月)通夜

通夜の日。

通夜は19時、湯灌は16時なので15時半ごろをメドにベルコに到着すべく、自宅を出る。

湯灌は何をするのかよく分かっていなかった。病院を出るときも遺体はある程度きれいにしてくれているので、もう一回身体を清める必要もないと思っていたが、

  • 痩せこけた身体に綿を当てて見た目を整えるとか、
  • 固まった腕を柔らかくしてきちんと組ませるとか、
  • 開いてた顎もすっきりと閉じるとか、
  • 顔にある傷を化粧で隠すとか
きれいに仕上げてもらって、眠っているように見える。通夜・告別式で参加いただく方が最後のお別れをするときにも、この方が良かったと思う。

湯灌はベルコの親族控室内で行なう。部屋はふすまで仕切れるようになっていて、親族が行うのは足元から胸にかけてお湯をかけるだけ。身体を洗う、化粧を施す、白い帷子に着せ替えるなどなどは、ふすまを閉めた向こうで、男女一人ずつ計2名の担当者が行ってくれた。いずれも若い方。

通夜が19時といいつつ、親族は17時半ごろから来られる。親族控室にむかえるたびに、ベルコの担当者が熱いお茶を運んでくれた。

その後、司会を担当する女性が来られて、生前の父について質問を受ける。通夜のナレーションに使うらしい。翌日もまた、告別式用のナレーションのために質問を受けた。

通夜も始まってしまうと、あとは司会任せなので、読経の中で喪主の焼香、親族焼香。一般の焼香に移る前に、母と二人で立って焼香される方々に都度立礼する。

通夜のあとは、親族だけ残って軽く食事。みなが集まったところで、食べ始めていただく挨拶を喪主からする。「ささやかではございますが、父の生前のことなどお話いただきながら召し上がってください」とかなんとか喋る。オードブル6人前×2にしたが、結局12人の参加となったので、人数分ちょうど。年寄りが多く食もそんなに太くないので、量は十分だった。


2016年4月17日日曜日

2016/4/17(日)ベルコとの打ち合わせ

会社に連絡。プロジェクトと職制の上司に、通夜・告別式の日程と場所の連絡、月曜から3日間は休む連絡を入れる。

昼前に、弟夫婦と実家に集合。昼食の後で、ベルコと通夜・告別式の詳細を打ち合わせる。枕教は喪服でなくても良いとの事だったので、普段着で。

14時に霊嚴院の住職が来てくれて、枕経。なんかカミソリのようなものを父の頭に当てていた。なんの意味だかは聞き忘れた。後で調べたところ、浄土宗では亡くなると仏の弟子になって、四十九日の満中陰までの間は阿弥陀様のもとへ行くまでの修行期間。弟子入りをする時には剃髪をするので、形だけだがカミソリを頭に当てる真似をし、袈裟をかけて仏弟子になる手順を踏む。これが枕経の意味なんだそうな。

香典はお返しが大変なので、受付で氏名・住所と金額を書いてもらって、いただいた香典の半分に相当する金額のカタログをお渡しする。奈良市はだいたい半返しがルール。これで香典を頂いた方が自分で選んで貰う方法。これは金額まで書かせるのが、ちょと事務的すぎる感はあるものの、葬儀の後で、心身ともにつかれている時に負担を減らせるので良い方法だった。

お布施についてはベルコのアドバイス通りに、直接住職に聞く。最初は気持ちですからといっていたが、直近の例で、ということで聞くと告別式で20万円。これには、通夜、初七日、満中陰のお布施は入っていない。お車代や御膳料という名目で渡すお金も入っていない。

後日、担当の安田さんに聞いたところ、全部ひっくるめて30万円ぐらいが相場らしい。
  • 枕経:1万円
  • 通夜経:3万円
  • 告別式の導師お布施:20万円
  • 告別式のお車料+御膳料:1万円
  • 初七日の導師お布施:3万円
  • 初七日のお車料+御膳料:1万円
これで合計29万円になる。今回は住職が1人でやってくれたが、導師以外に弟子を連れてとなると、その人数分追加になる。その後で、満中陰や一周忌、三回忌などの節目のお布施は、この合計額の10分の1で3万円、初七日の後で、廿七日、丗七日などのお布施はさらに10分の1で3千円、といった金額らしい。

枕経の後で打ち合わせして決めたことは、他にもたくさんある。
  • 喪主は長男である私
  • 通夜振る舞い:15人ぐらいの出席を想定して、6人前のオードブルセット4万円×2
  • 精進落としの料理:7千円のコース
  • 湯灌:安田さんのおすすめのままに追加
  • 香典は親戚のみ受け付けて、町内会含めた一般、会社関係は受け付けない。理由はお返しが手間なので
  • 棺桶:木の棺桶で、いちばん安いコース:5万円
  • 死に装束の帷子:これも、いちばん安いコース:1万5千円
  • ドライアイス:20kgで1万7千円
  • 親族の最後に行う留焼香を誰がするか。父の弟にあたる叔父に決めるが、足が弱ってるらしいので、叔父が無理そうだった場合は弟と決める。
日程は、月曜日の18日を通夜、火曜日19日を告別式にする。通夜が友引になるのでどうかと思ったが、霊嚴院の住職に聞くと気にしなくとも良いとのこと。なので、通夜が友引、告別式が先勝という六曜になった。

ざっくりした出席者リストを作ってベルコに渡す。詳細は今晩から明日にかけて電話で調整して決める。基本は我が家と弟一家、叔父、弟の義父母、父のいとこ関係、母の兄弟関係。町内会には声をかけるかどうかあれこれ話した結果、町内会長さんに通夜と告別式の日時は伝えるものの香典は辞退していることを伝えることに。町内会を除くと15人~20人ぐらいの規模。

母の兄弟は岐阜と島根からなので、JR奈良駅に近いホテルを手配し、料金も支払っておく。弟が手配してくれた。

明日の通夜は19時からだが、湯灌が16時なので、それに合わせてベルコに集合することにする。湯灌の時は喪服でなくとも可とのこと。明日、明後日は長丁場になるので、本日は早めに解散。とはいっても18時過ぎていたので、自宅に居る長男に晩ごはんのおかずを買っておいてもらう。


2016年4月16日土曜日

2016/4/16(土)死亡からベルコへの移送

家族4人で病院へ父の見舞いに行く。TOEFLを受験していた次男とは実家前で待ち合わせて、春日病院まで。2週間と聞いていたので近いと覚悟はしていたものの、この日に亡くなるとは。

次男の入学式と合格発表の時の写真を見せて、1時間ぐらい居たあとに実家にもどる。いつもは母が身体を撫でていると、だんだんと大人しくなって寝るのだが、この日はウンウンと呻るのが続いてたのが少し様子の違ったところ。

自宅に帰る前に実家に戻って少し休憩していたら、電話があり。母が取ると病院からで、「呼吸が止まりそうですので、落ち着いてお越しください」とのこと。取り急ぎ弟に電話して、すぐに病院へ向かってもらうように言う。

死亡後は病室もそんなに居られないだろうから、荷物を全部引き上げられるように準備して、とりいそぎ病院へ向かう。

到着した時には、すでに脈拍も測れず、呼吸もしていない状態だった。ほどなく当直の医師がこられて、脈の確認、瞳孔の確認をされ、午後5時51分にご臨終ですと告げられた。手を握るとまだ温かみがあって、見た目は変わらないのが寝ているようである。その後に弟一家が到着。


さて、まずは遺体の運び先を決めねばならないが、自宅に受け入れの準備も何もないし、ベルコに電話する。父が契約した時の担当者で谷さんという方の名刺があったので、そこに電話したが葬儀の受付はここじゃないと言われ、教えられた電話番号にかける。

聞かれたことは、

  • 死亡した人の氏名、電話してる私との続き柄
  • 遺体をどこに運べばいいか
  • 病院には何時に迎えに行けばいいか。これは病院側の処置があるので看護師さんに聞けば、時刻を教えてくれるとのこと
  • 宗派と葬儀をお願いするお寺の名前
病室に戻って母にベルコと連絡が取れたことを伝える。看護師さんに病院側の処置が終わる時刻を聞くと20時には終わっているとのことなので、ベルコに電話する。

あれこれにお金が要るのだが、死後に父名義の口座は凍結されるので、母が父名義の口座からお金を下ろすのに銀行ATMまで送って行き、ベルコへ向かう。ベルコからの迎えは弟夫婦に任せる。ベルコで合流。父は安置室に寝かされている。遺体にはドライアイスが当てられており、室内は冷房が強く効かせてある。

とりあえず、ベルコの担当者・松原さんに安田さんと直近の打ち合わせを行う。基本のコースは父が申し込んでいるが、祭壇やお花などは決まっていないし、香典のお返しや通夜・告別式の料理も未定。あれこれと決めていく。お布施のこともいくらするのか分からないのでベルコに相談すると、枕経の時に直接お聞きするのが良いとのこと。

通夜と葬式に初七日がイベントだと思っていたら、枕経というのがあるのだ。通夜の前日にお経を上げてもらうこと。これも僧侶との日時の相談が要るので、菩提寺の霊嚴院に母が電話して、明日の14時と決める。

とにかく病院を引き払って、ベルコまで移動するだけで精一杯。細かい相談は枕経の時に再度行うことにして今日はお開きにし、JR奈良駅の「やよい軒」で食事して解散。

2016年4月10日日曜日

2016/4/10(日)お花見はキャンセル

お花見を企画していたが、まんいち急な呼び出しが会った時に飲酒運転もできないので、キャンセル。幹事のドタキャンはいつものことなので、欠席の旨だけメールする。店長には前日にお店に伺って状況を説明しておく。

2016年4月6日水曜日

2016/4/6(水)延命措置をしない決断

弟とセブンイレブンで合流して病院へ。

母と3人で丸山Dr.の説明を聞く。

  • 口から食べられないので点滴で栄養を補給しているが、同じ場所ばかり点滴の針を刺すと血管が固くなってくる。場所を変えているが、刺す場所がなくなってきているのとハンチントン病のために四肢が動くので刺す作業が難しい。
  • 入院当初の体力であれば、胃ろうも選択肢だったが、今の体力では手術が難しい。
  • 鼻からのチューブで栄養を補給しているが、病気のためしゃっくりが出て逆流することがあり、そのため食道を戻ってきて気管に入ることがある。肺炎を起こす原因。
  • 他に栄養を補給する手段として、中心静脈栄養という方法がある。太ももの付け根あたりから、心臓近くの太い静脈のところまでカテーテルを入れ、高カロリーの輸液を流す方法。
  • 静脈血を通じて栄養がいきわたるので、臓器にそれを吸収する能力があるかぎりは生き延びられる。人によっては年単位で生き延びることもあるが、個人差あり。
  • ただし、カテーテルを入れっぱなしなので、本人にとっては違和感があるし、しんどい方法。
  • そういう栄養補給方法をとらずに延命しない場合は、血管ではなく皮下に水分だけを点滴する方法がある。
  • 皮下に染み渡らせることで水分を補給できるが、栄養の補給を行わないので、体内にあるエネルギーを使いきった時点で死亡する。水分を補給することで発熱を抑えられるので、栄養補給はできないが、本人を楽にすることができる。徐々に衰弱して穏やかに息を引き取る方法。
元々、入院当初から無理に延命治療はしない方針だったので、皮下点滴にすることにした。丸山Dr.の診たてでは、普通は皮下点滴に切り替えると余命は2週間ぐらいだが、父の場合は栄養状態が良くないので、もう少し短いかもしれないとのこと。

実家に戻って、生命保険、年金などの書類を整理する。ベルコに父が申し込んでいた書類も見つけたが、入会金の領収書とパンフレットがあるだけで、契約書らしきものが見つからない。毎月5千円ずつの引き落としがされているそうなので、契約は締結できているのだと思うが、さてねぇという感じ。満期で43万円のコースが30万円ぐらいは積み立てられている。

2016年4月5日火曜日

2016/4/5(火)医師との面談調整

出社してすぐに、4月6日を休みにするように仕事の関係方々に調整。快諾いただく。

母に連絡して午後2時に病院着の予定でいくことにする。

弟と連絡をとって、こちらからクルマで行く時に、途中のコンビニで拾っていくことに決定。


2016年4月4日月曜日

2016/4/4(月)母からの電話相談

実家の母より電話あり。
父の容態がおもわしくないので、春日病院・丸山Drから延命治療についての判断を求められているとのこと。弟と一緒に3人で話を聞くべく、4月6日(水)でDr.の時間をとってもらうように母に依頼。入院時から延命治療はしないと話していたし、電話で母と会話したなかでも無理な延命をしない意向だったので、基本は延命治療なしでDr.と話す方向にする。

弟に連絡のメールを入れる。